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三崎城 みさきじょう

日本の城がわかる事典の解説

みさきじょう【三崎城】

神奈川県三浦市にあった平山城(ひらやまじろ)(海城(うみじろ))。築城時期、築城者を含め、城がつくられた経緯は明らかではないが、戦国時代に、三浦氏が本城の新井城(三浦市)の支城として築いたのではないかと考えられている。1516年(永正13)、小田原城の北条早雲(宗瑞、伊勢盛時)の攻撃により居城の岡崎城を追われた三浦義同(よしあつ)(道寸)は、住吉城(逗子市)に逃れ、次いで新井城に逃れて抵抗したが、父子は自刃。その直後に三崎城も落城し、残った三浦氏一党は城ヶ島で抵抗したといわれるが平定され、三浦氏は滅亡した。その後、三崎城は玉縄城(鎌倉市)配下の城となり、三崎の海賊衆を傘下に取り込んで、対岸の里見水軍と対峙した。この戦いで、三崎城は新井城とともに里見氏に占領された時期もある。その後、北条氏政の弟の氏規が三崎城主となった。氏規は北条氏が豊臣秀吉と対立した時期の外交を担当、秀吉との和平を説いたが氏政ら主戦派に押し切られ、1590年(天正18)の小田原の役と北条氏の滅亡に至る。このとき、氏規は伊豆の韮山城(静岡県伊豆の国市)に籠城したが、徳川家康の説得で降伏・開城。氏規不在の三崎城も降伏・開城した後、廃城となった。氏規は江戸時代に入り河内に2000石を与えられて、のちの狭山藩の基礎をつくることになる。三崎城跡には、徳川氏に仕えたかつての武田水軍の将向井正綱が屋敷を構え、明治時代前半まで土塁をはじめとして数多くの遺構が残っていたといわれるが、三浦市役所、図書館、三崎中学校などが建設されて、そのほとんどが失われてしまった。京浜急行線三崎口駅からバス。または徒歩約70分。◇三浦城、宝蔵寺城、北条山城とも呼ばれる。

出典|講談社日本の城がわかる事典について | 情報

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