国指定史跡ガイド 「住吉行宮跡」の解説
すみよしあんぐうあと【住吉行宮跡】
大阪府大阪市住吉区墨江にある行宮跡。住吉大社の南約300mの住吉大社を奉斎する神主津守氏の邸内にあったが、現在は閑静な住宅地に囲まれた祠(ほこら)のような雰囲気を漂わせている。南北朝時代の1339年(延元4・暦応2)に即位した南朝方の後村上天皇が1352年(正平7・観応3)に吉野の賀名生(あのう)を出て、河内金剛寺に行幸し、機に乗じて京都をうかがえる津守氏の邸内にあった正印殿を行宮と定めた。その後、観心寺に行幸し、総持院に行宮を移した後、再びここに行幸して京都還幸の機を待ったが、41歳で崩御。次の長慶天皇がこの地で即位。両朝対立争乱の歴史を語り継ぐ遺跡として、1939年(昭和14)に国の史跡に指定された。摂津一の宮として広く崇敬を集めていた住吉大社の神主津守国夏が、父祖の志を継いで早くから後醍醐(ごだいご)天皇に忠勤を励んでいたこともあって、邸内を行宮として提供したものと考えられている。1868年(明治1)には明治天皇が住吉大社に行幸し、正印殿で小休を取った。南海電鉄南海本線住吉大社駅から徒歩約15分。