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住吉大社 すみよしたいしゃ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

住吉大社
すみよしたいしゃ

大阪市住吉区にある元官幣大社。祭神はウワツツオノミコト,ナカツツオノミコト,ソコツツオノミコト,神功皇后。航海の神として信仰される。本殿住吉造の代表的な遺構で国宝。切妻造妻入りで本殿形式として最も古い型に属する。例祭6月 30日。

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百科事典マイペディアの解説

住吉大社【すみよしたいしゃ】

大阪市住吉区に鎮座。旧官幣大社。底筒男(そこつつのお)命・中筒男命・表(うわ)筒男命・神功皇后をまつる。神功皇后征韓の役に神助があり,帰還後まつられたと伝える。
→関連項目大阪[市]住吉[区]住吉神社天王寺夏越の祓渡辺津

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デジタル大辞泉プラスの解説

住吉大社

大阪府大阪市にある神社。神功皇后摂政11年(211?)の創祀とされる。祭神は底筒男命(そこつつのをのみこと)、中筒男命(なかつつのをのみこと)、表筒男命(うはつつのをのみこと)、神功皇后。摂津国一之宮。全国住吉神社の総本社。国宝の本殿など多くの文化財を保有。

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世界大百科事典 第2版の解説

すみよしたいしゃ【住吉大社】

大阪市住吉区に鎮座。旧官幣大社。底筒男(そこつつのお)命,中筒男命,表(うわ)筒男命,息長帯姫(おきながたらしひめ)命(神功皇后)をまつる。記紀や《住吉大社神代記》(社蔵の文書で天平3年の奥書あり)によれば,住吉三神は伊弉諾(いざなき)尊の禊祓に際して海中より出現した神と伝え,神功皇后の西征に神助あり,〈吾が和魂(にぎみたま)は大津の渟中倉(ぬなくら)の長峡(ながお)に坐さしむべし〉との神託により,手搓足尼(たもみのすくね)によってこの地に鎮斎されたとする。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

住吉大社
すみよしたいしゃ

大阪市住吉区住吉に鎮座。祭神は住吉大神(すみよしのおおかみ)すなわち底筒男命(そこつつのおのみこと)、中(なか)筒男命、表(うわ)筒男命の三柱と、神功皇后(じんぐうこうごう)(息長足姫命(おきながたらしひめのみこと))。住吉大神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の筑紫日向(つくしのひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)(小門)の檍原(あわぎはら)(阿波岐原)での禊(みそぎ)によって生まれた神であるが、神功皇后は、その神託を得て朝鮮に出兵、帰国後、現在地に大神を鎮祭したのが、第一・第二・第三本宮である。やがて皇后も、遺志により第四本宮に祀(まつ)られたと伝える。古くは名神大社、摂津(せっつ)国一宮(いちのみや)、二十二社に列した。祭神は禊祓(みそぎはらえ)の神、海路平安の神として古来朝野の崇敬厚く、遣唐使の出発にはかならず当社に祈願する例であった。また、大神が「現人神(あらひとがみ)」として顕現するという特異な信仰があり、多く白ひげの老翁の姿に描かれる。平安時代以降は和歌の神としての信仰も大いに広まり、津守国基(つもりのくにもと)をはじめ神主(かんぬし)にも歌人が輩出した。農業、産業の神として広く庶民の崇敬も盛んで、大阪市の鎮守として、正月や祭礼には非常ににぎわう。旧官幣大社。1946年(昭和21)社号を住吉神社から住吉大社という古称に復した。
 国宝の本殿四棟は住吉造で、神社建築の最古の様式の一つである。平安初期までは、香取(かとり)・鹿島(かしま)神宮とともに、伊勢(いせ)神宮と同様20年に一度遷宮が行われた。境内には、反橋(そりはし)、石舞台(国の重要文化財)、石灯籠(いしどうろう)(400基)など由緒あるものが少なくない。御文庫(おぶんこ)は、1723年(享保8)大坂、京都、江戸の書肆(しょし)20人が発起・創建したもので、いまも大阪の書籍商では献本・参拝の伝統を伝える。境外南方に正印殿(神印を納めた所)の跡があるが、後村上(ごむらかみ)天皇崩御、長慶(ちょうけい)天皇践祚(せんそ)の遺跡でもある。摂社、末社も多く、楠(なんくん)社(初辰(はつたつ)さん)をはじめ独特の庶民信仰をもつものも多い。文書、書跡、彫刻、工芸など社宝は多い。なかでも731年(天平3)の奥書のある『住吉大社神代記』は、当社の由来について独自の古伝を伝えており、木造舞楽面、太刀(たち)などとともに国の重要文化財に指定されている。
 7月31日の例祭(住吉祭)は、祓の意味を込めた代表的な夏祭で、大阪府指定無形文化財。6月14日の御田植神事は田植踊、住吉踊など貴重な芸能を伝承し、重要無形民俗文化財に指定される。そのほか踏歌(とうか)神事(1月4日)、白馬(あおうま)神事(1月7日)、御結鎮(みけち)祭(1月13日)、松苗神事(4月3日)、卯之葉(うのは)神事(5月初の卯の日)、御輿洗(みこしあらい)神事(7月21、22日)、宝之市(たからのいち)神事(10月17日)など特殊神事も豊富である。[谷 省吾]
『西本泰著『住吉大社』(1977・学生社) ▽田中卓他著『住吉大社史 上中下』(1963~94・住吉大社奉賛会)』

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世界大百科事典内の住吉大社の言及

【神社建築】より

…大社造の古い遺構として1583年(天正11)の同県神魂(かもす)神社本殿がある。
[住吉造]
 大阪の住吉大社本殿の形式を住吉造という(図3)。1810年に造替された今の本殿は古い形式をおおむね伝え,奥行4間,間口(背面)2間,妻入りで,内部を2室に分ける。…

【住江(住吉)】より

…摂津国住吉(すみよし)郡で,遣唐使もここを利用した。《万葉集》以降この地域一帯は〈住吉〉と表記されることが多くなり,現在も住吉大社がある。日吉(ひえ)神社が日吉(ひよし)神社と読まれるのと同様に,それが〈すみよし〉と読まれるようになった。…

【住吉踊】より

…民俗芸能。大阪市住吉区の住吉大社に伝承される踊りで,古くは住吉大社の神宮寺,新羅寺の社僧が御田植祭に踊ったあと,住吉代参の祈禱の目的で京阪を巡回して踊ったものだという。白木綿の衣装に手甲,股引,脚絆といった旅仕度の者4~5人が円陣をつくり,音頭取りが大傘を立てて〈住吉様の岸の姫松目出たさよ〉などと傘の柄をたたきながら歌うのにつれて,うちわを打ちふり足をはねあげて踊る。…

【住吉行宮】より

…南北朝時代,南朝の後村上,長慶両天皇の行宮。正平一統(しようへいいつとう)のあと,後村上天皇は1352年(正平7∥文和1)2月26日賀名生(あのう)を出発,河内東条を経て2月28日摂津住吉に到着,住吉大社の神主津守(つもり)国夏の住江(すみのえ)殿を行宮と定め,半月ほど滞在した。このあと天皇は八幡(やわた)(山城男山(おとこやま)行宮)まで進出したが,5月敗退して賀名生に帰った。…

【田舞】より

…のちに絶えたが1787年(天明7)の大嘗会に再興され,文政年間(1818‐30)にも行われたが以後廃絶した。なお,大阪市住吉大社で6月14日に行われる御田植祭(国指定重要無形民俗文化財)に巫女(みこ)が田中の舞台で舞う巫女舞を田舞と称している。【山路 興造】。…

【津守氏】より

…摂津国西成郡津守郷を本拠とした古代の氏族の一つ。大和平野への入口にあたる淀川河口付近は早くから交通の要衝として開けており,津守氏は津を守護する職務をもって大和政権に仕えた。氏族名もその職務に由来する。平安時代,古代氏族を出身別に分類した《新撰姓氏録》は,〈津守宿禰 尾張宿禰同祖 火明命八世孫 大御日足尼之後也〉と記す。《日本書紀》や《古事記》は,神功皇后紀(記)に津守連の祖を田裳見宿禰とする。仁徳紀は,秦人らを役して墨江之津を定めるとあり,津守氏の起源を類推する材料ではあるが確実ではない。…

※「住吉大社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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