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佐々宗淳 さっさ むねきよ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

佐々宗淳 さっさ-むねきよ

1640-1698 江戸時代前期の史学者。
寛永17年5月5日生まれ。15歳で僧となるが還俗(げんぞく)し,延宝2年徳川光圀(みつくに)につかえ,「大日本史」の編修に参加。史料の調査収集のため全国をめぐる。元禄(げんろく)元年彰考館総裁。「水戸黄門漫遊記」の助さんのモデルとされる。元禄11年6月3日死去。59歳。字(あざな)は子朴。通称は介(助)三郎。号は十竹(じっちく),十竹斎。著作に「南行雑録」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

佐々宗淳

没年:元禄11.6.3(1698.7.10)
生年:寛永17.5.5(1640.6.24)
江戸前期の歴史家。名は「そうじゅん」とも読む。号十竹,通称介(助)三郎。出身地については備前(岡山県),大和宇陀(奈良県大宇陀町)など諸説がある。はじめ京都妙心寺の僧となったが還俗。延宝2(1674)年35歳のとき,水戸藩主徳川光圀の招きで彰考館に入り,のち総裁。その間『大日本史』編纂のため全国各地の史料調査に従事。また光圀の命で古墳発掘,古碑の保存などにも中心的役割を果たす。水戸黄門漫遊談では助さんのモデルにされた。墓地は西山荘のある常陸太田市 正宗 寺境内。<著作>『足利将軍伝』<参考文献>但野正弘著『新版佐々介三郎宗淳』

(瀬谷義彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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