朝日日本歴史人物事典 「佐々宗淳」の解説
佐々宗淳
生年:寛永17.5.5(1640.6.24)
江戸前期の歴史家。名は「そうじゅん」とも読む。号十竹,通称介(助)三郎。出身地については備前(岡山県),大和宇陀(奈良県大宇陀町)など諸説がある。はじめ京都妙心寺の僧となったが還俗。延宝2(1674)年35歳のとき,水戸藩主徳川光圀の招きで彰考館に入り,のち総裁。その間『大日本史』編纂のため全国各地の史料調査に従事。また光圀の命で古墳発掘,古碑の保存などにも中心的役割を果たす。水戸黄門漫遊談では助さんのモデルにされた。墓地は西山荘のある常陸太田市 正宗 寺境内。<著作>『足利将軍伝』<参考文献>但野正弘著『新版佐々介三郎宗淳』
(瀬谷義彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報