日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラ・トゥール」の意味・わかりやすい解説
ラ・トゥール(Maurice Quintin de La Tour)
らとぅーる
Maurice Quentin de La Tour
(1704―1788)
フランスの画家。サン・カンタンに生まれる。1723年パリに出て、当時ジョセフ・ビビアンJoseph Vivien(1657―1735)、ロザルバ・カリエラRosalba Carriera(1675―1757)たちによって流行し始めたパステル画の刺激を受け、もっぱらパステル画によって肖像画を描く。1746年には「パステル肖像画家」としてアカデミーに入会。とくに1743年以来、王室、宮廷の公的な肖像を制作し、青、真珠色に輝く灰色を主調とし、若干のバラ色や黄を混じえた繊細で魅惑的な色彩、モデルの心理的な機微を表す精密な描写によって人気を得、1748年のサロンに出品された王や王妃を含む14点の肖像のうち8点がルーブル所蔵となったほどである。ほかにジャン・ジャック・ルソーやポンパドゥール夫人など多くの同時代人の肖像が残されている。ロココ人の自由で屈託のない相貌(そうぼう)を示す『自画像』(アミアン美術館)も代表作。1773年までサロンに出品し、1784年以降は故郷に隠退。その死後アトリエに残された多くの作品がサン・カンタン美術館の基盤となった。
[中山公男]
ラ・トゥール(Georges de La Tour)
らとぅーる
Georges de La Tour
(1593―1652)
フランスの画家。ロレーヌ地方のビク・シュル・セイユにパン屋の息子として生まれる。1610~1616年ころ、ローマで絵の修業をしたと考えられる。1620年にロレーヌ地方のリュネビルに居を定めて活躍を始め、ロレーヌ公アンリ2世の宮廷画家となるが、フランス国王ルイ13世などからも注文を受けた。初期には風俗画が多く、登場人物の心理的緊張感を主題とした『クラブのエースを持ついかさま師』(フォート・ワース、キンベル美術館)、『女占師(うらないし)』(ニューヨーク、メトロポリタン美術館)などがある。後期にはカラバッジョからの影響を発展させて、独特な宗教画の様式を確立し、ろうそくの光を中心とした強い明暗の対照、深い精神性と臨場感を特色とする。『大工の聖ヨセフ』(1645ころ、ルーブル美術館)、『聖セバスチャン』(1650ころ、ルーブル美術館)など。リュネビルで没。死後その名は忘れ去られ、作品だけが他の画家の名で知られていたが、20世紀前半にようやく復活した。
[宮崎克己]