佐々目ヶ谷(読み)ささめがやつ

日本歴史地名大系 「佐々目ヶ谷」の解説

佐々目ヶ谷
ささめがやつ

長楽寺ちようらくじヶ谷の北方御成おなり中学校の西麓の谷をいう。「風土記稿」は佐介さすけヶ谷のうちという。「笹目」と書くのは近世以降のことと思われる。谷名の由来は未詳。「玉舟和尚鎌倉記」はうめヶ谷・おうぎヶ谷・雪下ゆきのしたヶ谷・かめヶ谷・べんヶ谷・はなヶ谷とともに鎌倉七谷の一つという。

吾妻鏡」寛元四年(一二四六)閏四月二日条に、前日に没した北条経時(法名安楽)を「佐々目山麓」に埋葬したことがみえ、次いで、翌宝治元年五月一四日条には前日没した経時夫人の遺骸を当谷「経時墳墓之傍」に埋葬したこと、同二年三月二九日条には北条時頼が「佐々目谷堂」において導師般若房律師をもって経時三回忌の法事を修めたこと、正嘉二年(一二五八)三月二三日条には、経時の十三年忌供養を「佐々目谷塔婆」で導師寿福寺朗誉をもって執り行ったことなどが記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む