佐分利貞男(読み)サブリ サダオ

20世紀日本人名事典 「佐分利貞男」の解説

佐分利 貞男
サブリ サダオ

明治〜昭和期の外交官 駐中国公使。



生年
明治12(1879)年1月20日

没年
昭和4(1929)年11月29日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京帝大法科大学〔明治38年〕卒

経歴
明治38年外務省に入り、フランス在勤を経て、大正8年パリ講話会議全権委員随員となる。同年よりアメリカ在勤となり、ワシントン会議、日米移民問題に活躍、この間幣原喜重郎駐米大使の知遇を得る。13年帰国し、幣原外相のもとで通商局長となる。15年条約局長として中国国民革命の時期における“幣原外交”の推進に尽力した。昭和2年参事官としてジュネーブ海軍軍縮会議全権委員随員となり、同年から英国在勤。4年幣原が外相に再任すると中華民国特命全権公使に任命され、日華条約改訂交渉を開始。同年交渉打合せのため一時帰国中自殺した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐分利貞男」の解説

佐分利貞男 さぶり-さだお

1879-1929 明治-昭和時代前期の外交官。
明治12年1月20日生まれ。小村寿太郎娘婿。外務省にはいり,通商局長,条約局長などをつとめる。昭和4年幣原(しではら)喜重郎外相のもとで中国公使となり,国交調整交渉の準備のため帰国中,同年11月29日箱根で自殺(他殺説もある)。51歳。東京出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「佐分利貞男」の解説

佐分利 貞男 (さぶり さだお)

生年月日:1879年1月20日
明治時代-昭和時代の外交官
1929年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android