幣原外交(読み)しではらがいこう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「幣原外交」の意味・わかりやすい解説

幣原外交
しではらがいこう

両大戦間期に幣原喜重郎(きじゅうろう)外相によって推進された外交。いわゆる協調外交の典型。

[江口圭一]

第一次

(1924.6~1927.4 大正13~昭和2) 幣原は第一次・第二次加藤高明(たかあき)内閣と第一次若槻(わかつき)礼次郎内閣の外相を歴任し、ワシントン体制に順応して、アメリカ、イギリスとの協調、中国に対する内政不干渉を唱え、中国市場への経済的進出を図った。しかし軍部による武力干渉政策を押さえられず、第二次奉直(ほうちょく)戦争や郭松齢(かくしょうれい)事件ではかならずしも内政不干渉を貫きえなかった。北伐に際して、南京(ナンキン)事件などについて「軟弱」との非難を浴び、退陣を余儀なくされた。

[江口圭一]

第二次

(1929.7~1931.12 昭和4~6) 浜口雄幸(おさち)内閣・第二次若槻内閣の外相として、日中関税協定を結び、ロンドン海軍軍縮条約の成立をみたが、満蒙(まんもう)問題の緊迫化を防ぎえず、満州事変に際しては不拡大方針を軍部によって次々と破られ、十月事件などの威嚇を受けて崩壊した。

[江口圭一]

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百科事典マイペディア 「幣原外交」の意味・わかりやすい解説

幣原外交【しではらがいこう】

1924年―1931年の間,1927年―1929年の田中義一内閣を除き,加藤高明,若槻礼次郎,浜口雄幸各内閣の外務大臣幣原喜重郎が推進した外交路線。ワシントン体制のもと米・英と協調して中国革命進展対処ロンドン会議で海軍軍縮条約を成立させて協調外交といわれ,軍部・右翼からは軟弱外交と非難された。
→関連項目伊東巳代治田中義一浜口雄幸内閣松岡洋右若槻礼次郎内閣

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「幣原外交」の意味・わかりやすい解説

幣原外交
しではらがいこう

大正末期から昭和初期にかけて外相幣原喜重郎が推進した外交。幣原は第1次加藤高明内閣~第1次若槻内閣 (1924.6.~27.4.) ,および浜口内閣~第2次若槻内閣 (29.7.~31.12.) の外相で,ワシントン会議から満州事変までの間に国際協調,経済外交優先,中国に対する内政不干渉を3本柱とする「協調外交」を展開した。その背景には,第1次世界大戦後の欧米諸国の中国市場への復帰,中国の民族運動の発展,日本国内の経済的困難などがあったが,幣原はワシントン体制にそった対英米協調を基本としながら,中国の自主的立場の尊重,内政不干渉,日本の合理的権利の擁護,特に特殊権益の維持をはかった。 1925年日ソ基本条約の締結,29年中ソ紛争の調停,30年ロンドン海軍軍縮条約の締結,中国との関税協定などを推進したが,軍部などの急進派からは「軟弱外交」と強く反発され,31年満州事変によってその協調外交は終った。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「幣原外交」の解説

幣原外交
しではらがいこう

若槻・浜口両民政党内閣時代(1924年6月~27年4月,29年7月~31年12月)の外相幣原喜重郎が展開した外交。その間の「田中外交」としばしば対比される。国際協調と経済中心主義がその特色とされるが,最も際立っていたのは対中国外交であった。北伐が満州に迫っても出兵を拒否して内政不干渉主義を貫徹した態度,さらに満蒙の特殊権益視の頑固なまでの否認は,「田中外交」と対照的であり,「幣原軟弱外交」として世論の批判を浴びる原因ともなった。満州事変への対応に苦慮した第2次外相時代末期には,ついに満蒙新政権樹立(満蒙分離)を容認するにいたり,その意義を失って退陣した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「幣原外交」の解説

幣原外交
しではらがいこう

協調外交

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世界大百科事典(旧版)内の幣原外交の言及

【幣原喜重郎】より

…第1次世界大戦後のワシントン体制のもとで活躍し,当時の日本外交を代表する外交官。憲政会・立憲民政党系の内閣の外相を歴任し,その国際協調主義的な政策は〈幣原外交〉と呼ばれた。第2次大戦後2代目の首相。…

※「幣原外交」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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