アメリカ大統領ハーディングの提唱により、1921年11月から翌年2月までワシントンで開かれた国際会議。アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの五大国のほか、オランダ、ベルギー、ポルトガル、中国の四か国代表が参加し、軍縮および太平洋・極東問題を討議した。その結果、海軍軍縮に関する五か国条約が成立したほか、太平洋に関する四か国条約、中国に関する九か国条約など7条約、12決議が成立した。
五か国条約では、アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの五大国間で主力艦総トン数の比率をそれぞれ5、5、3、1.75、1.75とすることに合意をみた。四か国条約では、アメリカ、イギリス、フランス、日本間で太平洋の諸島嶼(とうしょ)に関して現状維持が合意され、この条約の成立に伴い、長年結ばれてきた日英同盟が廃棄されることとなった。九か国条約では、従来からのアメリカの中国政策の柱であった「門戸開放・機会均等」の主張が、この条約で成文化され、国際的に承認された。このため、これとなじまない日本の中国における特殊権益を認めた石井‐ランシング協定は廃棄され、また日本は21か条要求の一部を撤回し、山東省における権益を返還することとなった。この会議において、アメリカは中国の国権回収運動の擁護者の形で終始主導権を握り、台頭する日本の行動を抑制することに成功した。これによりアメリカは、第一次世界大戦後の極東、太平洋地域における列国の勢力関係を画定し、いわゆる「ワシントン体制」を築いた。
[宇佐美滋]
『松葉秀文著『米国の中国政策(1844~1949)』(1969・有信堂高文社)』
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第一次世界大戦後に生じた中国を中心とする東アジア情勢の変化に対処するため1921年11月,アメリカ大統領ハーディングの招請によって中国に利害関係のあるアメリカ,イギリス,日本,フランス,イタリア,ポルトガル,ベルギー,オランダおよび中華民国の9カ国がワシントンに集まり,中国・太平洋問題を協議した。主催国であるアメリカのねらいは,(1)日本の中国進出の阻止,(2)英米海軍力の均等,(3)日英同盟の廃棄,にあった。この結果(1)については「九カ国条約」によって,中国における列強の勢力範囲を全面的に否定する新門戸開放主義によって大戦中の日本の単独進出を清算し,(2)については,海軍軍縮会議によって,アメリカ,イギリスが5に対して,日本が3,イタリア,フランスが1.67という主力艦隊保有比率の協定に成功。(3)については太平洋に関する四カ国条約によって日英同盟は廃棄されることとなり,アメリカは比較的有利に,日本は不利な状況が確定,以後の日米対立の原因の一つとなった。
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1921年(大正10)11月12日から翌年2月6日まで,ワシントンにおいてハーディング米大統領の提唱で開催された国際会議。日本全権は首席全権加藤友三郎海相,徳川家達貴族院議長,幣原喜重郎駐米大使。アメリカの首席全権ヒューズを議長とし,米・英・日・仏・伊の主力艦保有量を制限する海軍軍縮条約と,太平洋および中国における現状維持を目的とする四カ国条約および九カ国条約が締結された。この結果,第1次大戦後の極東における協調主義的な国際秩序であるワシントン体制が形成された。
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…第1次世界大戦後,西方におけるベルサイユ体制と対応し,東アジア・太平洋地域に樹立された国際秩序。ワシントン会議(1921年11月~22年2月)で成立した諸条約・決議を基礎としたのでこの名がある。
[背景]
第1次大戦は東アジア国際関係に大きな変化をもたらし,とくに日本の大陸進出は著しかった。…
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