ワシントン会議(読み)ワシントンカイギ

デジタル大辞泉 「ワシントン会議」の意味・読み・例文・類語

ワシントン‐かいぎ〔‐クワイギ〕【ワシントン会議】

1921年11月から翌年2月にかけて、ワシントンで開かれた国際会議アメリカ大統領ハーディングの提唱により、アメリカ・イギリス・日本・フランスイタリアポルトガルベルギーオランダ・中国が参加。海軍の主力艦を制限する五か国条約、中国に関する九か国条約太平洋問題に関する四か国条約が成立し、日英同盟は廃棄された。

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精選版 日本国語大辞典 「ワシントン会議」の意味・読み・例文・類語

ワシントン‐かいぎ‥クヮイギ【ワシントン会議】

  1. 一九二一年一一月から翌年二月にかけて、アメリカ合衆国ワシントンで開かれた国際会議。アメリカ合衆国大統領ハーディングの提唱によりイギリス・アメリカ・フランス・イタリア・日本・オランダ・ベルギー・ポルトガル・中国が参加。海軍軍縮、中国および太平洋問題を討議、条約を締結。日本の勢力伸張を押えることが目的であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワシントン会議」の意味・わかりやすい解説

ワシントン会議
わしんとんかいぎ

アメリカ大統領ハーディングの提唱により、1921年11月から翌年2月までワシントンで開かれた国際会議。アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの五大国のほか、オランダ、ベルギー、ポルトガル、中国の四か国代表が参加し、軍縮および太平洋・極東問題を討議した。その結果、海軍軍縮に関する五か国条約が成立したほか、太平洋に関する四か国条約、中国に関する九か国条約など7条約、12決議が成立した。

 五か国条約では、アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの五大国間で主力艦総トン数の比率をそれぞれ5、5、3、1.75、1.75とすることに合意をみた。四か国条約では、アメリカ、イギリス、フランス、日本間で太平洋の諸島嶼(とうしょ)に関して現状維持が合意され、この条約の成立に伴い、長年結ばれてきた日英同盟が廃棄されることとなった。九か国条約では、従来からのアメリカの中国政策の柱であった「門戸開放機会均等」の主張が、この条約で成文化され、国際的に承認された。このため、これとなじまない日本の中国における特殊権益を認めた石井‐ランシング協定は廃棄され、また日本は21か条要求の一部を撤回し、山東省における権益を返還することとなった。この会議において、アメリカは中国の国権回収運動の擁護者の形で終始主導権を握り、台頭する日本の行動を抑制することに成功した。これによりアメリカは、第一次世界大戦後の極東、太平洋地域における列国の勢力関係を画定し、いわゆる「ワシントン体制」を築いた。

[宇佐美滋]

『松葉秀文著『米国の中国政策(1844~1949)』(1969・有信堂高文社)』

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百科事典マイペディア 「ワシントン会議」の意味・わかりやすい解説

ワシントン会議【ワシントンかいぎ】

1921年―1922年ワシントンで開かれた国際会議。日,米,英,仏,伊の5大国と中国,オランダ,ベルギー,ポルトガルの計9ヵ国が参加。5大国間で締結された海軍軍縮条約では,10年間主力艦建造を停止し,保有主力艦の総トン数比率を米・英5,日3,仏・伊1.75と定め,補助艦艇についても若干の制限を加え,太平洋地域の要塞(ようさい)施設の現状維持が約された。他に全参加国による九ヵ国条約,日・英・米・仏による四ヵ国条約が締結され,日英同盟は破棄された。日本は不利となり,日米対立の一因となった。
→関連項目海軍加藤友三郎加藤友三郎内閣加藤寛治膠州湾ジュネーブ会議戦艦

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワシントン会議」の意味・わかりやすい解説

ワシントン会議
ワシントンかいぎ
Washington Conference

1921年 11月から翌 22年2月までワシントン D.C.で開かれた,海軍軍備制限および太平洋・極東問題に関する国際会議。この結果,極東を主要な舞台とするワシントン体制といわれる国際政治体制が樹立した。第1には日英同盟の解消をもたらした日本,イギリス,アメリカ,フランス間の4ヵ国条約が成立し,太平洋地域に領有する島嶼に関連して上記4ヵ国の相互の権利尊重,紛争発生の場合の協議を規定した (1921.12.13.調印) 。次いで 22年2月には日本,イギリス,アメリカ,フランス,イタリア5ヵ国の海軍力を一定保有量に制限したワシントン海軍軍備制限条約が結ばれ,最後に中国の独立,領土保全,門戸開放,機会均等を定めた,上記5ヵ国に,中国,ベルギー,オランダ,ポルトガルを加えた9ヵ国条約が結ばれた。ワシントン会議は軍事的には,海軍軍拡競争にストップをかけ,太平洋の緊張を緩和したかにみえたが,外交的には,日英同盟が葬り去られ,また日本の大陸における特殊利益を認めた石井=ランシング協定が廃棄されることになった。ことに,日本がパリ講和会議で獲得に成功した山東条項を列国監視のもとに放棄することを余儀なくされたことは,列国が二十一ヵ条要求をめぐる第1次世界大戦時の日本帝国主義の総決算をさせたものであって,日本の大陸進出を抑制し,列国とともに対中協調路線に沿わせようとしたものである。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ワシントン会議」の解説

ワシントン会議(ワシントンかいぎ)
Washington Conference

第一次世界大戦後に生じた中国を中心とする東アジア情勢の変化に対処するため1921年11月,アメリカ大統領ハーディングの招請によって中国に利害関係のあるアメリカ,イギリス,日本,フランス,イタリア,ポルトガル,ベルギー,オランダおよび中華民国の9カ国がワシントンに集まり,中国・太平洋問題を協議した。主催国であるアメリカのねらいは,(1)日本の中国進出の阻止,(2)英米海軍力の均等,(3)日英同盟の廃棄,にあった。この結果(1)については「九カ国条約」によって,中国における列強の勢力範囲を全面的に否定する新門戸開放主義によって大戦中の日本の単独進出を清算し,(2)については,海軍軍縮会議によって,アメリカ,イギリスが5に対して,日本が3,イタリア,フランスが1.67という主力艦隊保有比率の協定に成功。(3)については太平洋に関する四カ国条約によって日英同盟は廃棄されることとなり,アメリカは比較的有利に,日本は不利な状況が確定,以後の日米対立の原因の一つとなった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ワシントン会議」の解説

ワシントン会議
ワシントンかいぎ
Washington Conference

1921年11月,アメリカ大統領ハーディングの招請によりワシントンで開かれた,海軍軍縮,太平洋・中国問題に関する国際会議
参加国はアメリカ・日本・イギリス・フランス・イタリア・中国・ベルギー・オランダ・ポルトガルの9か国。海軍軍備制限問題に関しては,各国の主力艦の保有量の比率をアメリカ5,イギリス5,日本3,フランス1.67,イタリア1.67と定め,10年間建造中止を約した。中国問題に関しては,中国の独立・領土保全・門戸開放・機会均等を確認した九か国条約,太平洋問題に関しては,太平洋水域の諸島に対する相互の権利の尊重,紛争の共同会議による調整などが定められ,日英同盟の廃棄を規定した四か国条約が締結された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「ワシントン会議」の解説

ワシントン会議
ワシントンかいぎ

1921(大正10)年11月〜翌年2月にかけて,ワシントンで開かれた海軍軍縮と太平洋・中国問題に関する国際会議
アメリカ大統領ハーディングが提唱し,日本・イギリス・アメリカ・フランス・イタリア・オランダ・中国・ベルギー・ポルトガルの9カ国が参加。日本全権は加藤友三郎・幣原 (しではら) 喜重郎・徳川家達 (いえさと) 。四カ国条約・海軍軍縮条約・九カ国条約などが成立し,すべてを第一次世界大戦直前の状態に復帰させることが確認され,日本の山東省の旧ドイツ権益返還,シベリア撤兵も決定した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「ワシントン会議」の解説

ワシントン会議
ワシントンかいぎ

1921年(大正10)11月12日から翌年2月6日まで,ワシントンにおいてハーディング米大統領の提唱で開催された国際会議。日本全権は首席全権加藤友三郎海相,徳川家達貴族院議長,幣原喜重郎駐米大使。アメリカの首席全権ヒューズを議長とし,米・英・日・仏・伊の主力艦保有量を制限する海軍軍縮条約と,太平洋および中国における現状維持を目的とする四カ国条約および九カ国条約が締結された。この結果,第1次大戦後の極東における協調主義的な国際秩序であるワシントン体制が形成された。

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世界大百科事典(旧版)内のワシントン会議の言及

【ワシントン体制】より

…第1次世界大戦後,西方におけるベルサイユ体制と対応し,東アジア・太平洋地域に樹立された国際秩序。ワシントン会議(1921年11月~22年2月)で成立した諸条約・決議を基礎としたのでこの名がある。
[背景]
 第1次大戦は東アジア国際関係に大きな変化をもたらし,とくに日本の大陸進出は著しかった。…

※「ワシントン会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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