日本歴史地名大系 「佐川田喜六墓」の解説 佐川田喜六墓さがわだきろくのはか 京都府:綴喜郡田辺町薪村佐川田喜六墓[現在地名]田辺町大字薪佐川田喜六は名を昌俊といい、喜六はその通称、号を壺斎または黙々という。下野国足利(あしかが)庄に生れ、淀藩主永井氏に仕えたが、寛永一五年(一六三八)家督を譲り、一休(いつきゆう)寺の傍らに居を設けて黙々(もくもく)庵(黙々軒)とよび、自適の生活を送った。和歌・連歌にすぐれ、茶道もよくし、木下長嘯子・林道春・本阿弥光悦・松花堂昭乗・石川丈山らと交わり、一休寺の方丈庭園は丈山・昭乗・喜六の合作と伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by