佐柿村(読み)さがきむら

日本歴史地名大系 「佐柿村」の解説

佐柿村
さがきむら

[現在地名]美浜町佐柿

御岳おたけ(五四九メートル)の北西山麓にあり、北の椿つばき峠が坂尻さかじり村との境をなす。北に天王てんのう(三三〇・七メートル)がある。弘治二年(一五五六)六月の明通寺鐘鋳勧進算用状(林屋辰三郎氏蔵)に「百文 耳庄さかき」とある。永禄六年(一五六三)朝倉氏若狭攻めのとき国吉くによし城に籠城した地侍のなかに佐柿村常国十郎左衛門の名がみえる(佐柿国吉城籠城記)。元亀元年(一五七〇)四月、織田信長越前へ向かうとき近江より若狭へ入り当村の国吉城に宿した。なお、国吉城は「朝倉始末記」には「沙木ノ城」と記されている。

その後、豊臣秀吉は天正五年(一五七七)若狭国の一部を丹羽長秀に領させ、同一一年には国吉城周辺のみみ庄と山東やまひがし郷を木村常陸介定光に与えた。「若狭守護代記」に「秀吉公木村常陸介ニ命シテ曰、我先年信長公に属シテ佐柿ニ宿セシニ城下ニ町家ナクシテ万事不自由ナリシ也、此度町家ヲ申付ヘシ、是軍用ノ為ナリト、因之木村、近辺ノ者ヲ招テ諸役ヲ免シ町家ヲ作シム、是佐柿町家ノ始ナリ」とあり、当地が軍事的に重要視されたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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