日本歴史地名大系 「佐良峠」の解説 佐良峠ざらとうげ 富山県:総論立山連峰佐良峠立山連峰の中央部、獅子(しし)岳と鷲(わし)岳の鞍部。標高二三四八メートル。古くから立山連峰横断の要地とされた。現在はザラ峠と記され、峠の名は岩くずが堆積してザラザラと崩れやすい地形に由来するとされる。明治初年の一時期、千草(ちくさ)峠と改名された。天正一二年(一五八四)末、佐々成政が越中から信州へ抜出た時もこの峠を越え、さらに黒部川を渡り針(はり)ノ木(き)峠を越えたと伝承され、この道筋を佐良佐良(ざらざら)越と称した。成政が信越国境を踏破して浜松(はままつ)(静岡県浜松市)に赴いたことは、徳川家康の家臣松平家忠の日記の同年一二月二五日条に「越中の蔵助越し候」とみえる(家忠日記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by