…下野の中・近世の武家。安蘇郡佐野荘より起こる。藤原秀郷の子孫が下野に広まり,その10世孫足利七郎有綱の子基綱が佐野太郎を称した。基綱は源頼朝に仕え,御家人となる。2代国綱以降の系譜は確かではないが,その子孫が佐野の地を領し,戦国時代の末,宗綱に至る。宗綱は1585年(天正13)に上野館林城主長尾顕長と戦って敗死したので,北条氏政の弟氏忠がその遺跡を継いだ。氏忠は90年豊臣秀吉の小田原征伐に際し小田原城にこもり,落城とともに没落。…
※「佐野信吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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