精選版 日本国語大辞典 「聚光院」の意味・読み・例文・類語
じゅこう‐いんジュクヮウヰン【聚光院】
しゅうこう‐いんシュウクヮウヰン【聚光院】
- 京都市北区紫野大徳寺町にある大徳寺の塔頭の一つ。永祿九年(一五六六)三好義継が父長慶の菩提をとむらうために創建。利休が自殺したと伝えられる茶室があり、利休一族の墓がある。また、狩野永徳筆といわれる襖絵三二面は国宝。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市北区にある臨済宗大徳寺の塔頭(たつちゆう)。1566年(永禄9)三好義継が亡父長慶の菩提をとむらうため,笑嶺宗訢(しようれいそうきん)を開山として創建。聚光院は長慶の法名。本堂(重要文化財)は創建時の造立で,室町時代最末期を飾る客殿遺構。屋内の障壁画(国宝)のうち室中の《花鳥図》,上二之間の《琴棋書画図》は狩野永徳筆,下二之間の《瀟湘八景図》,上一之間の《竹虎遊猿図》はその父松栄筆で,壮大な画面構成や雄勁な筆致は桃山障壁画の代表とされる。《三好長慶画像》(1566)は重要文化財。本堂北東の書院は,千宗左が利休百五十回忌の追善茶会のため寄進したもので,1739年(元文4)から翌年にかけて造営され,北西隅の茶室閑隠席(かんいんせき)は重要文化財。なお境内には三好長慶および利休をはじめとする千家歴代の墓がある。
→大徳寺
執筆者:谷 直樹
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…庫裏の北にある大仙院の本堂(1513,国宝)は山内塔頭のうち最古で,大灯国師墨蹟(1330,国宝)などを蔵する。真珠庵には曾我蛇足筆といわれる《山水図》《花鳥図》(ともに室町時代,重要文化財)が,聚光(じゆこう)院には狩野永徳筆とされる《花鳥図》などの方丈障壁画(国宝)がある。伽藍の南にある竜源院の本堂(重要文化財)は大仙院本堂に次ぐ古さで,黄梅院の庫裏(1589,重要文化財)は年代の判明する禅宗塔頭庫裏では最古の遺構であり,また同時期の方丈(1588,重要文化財)とそろって残る例として珍しい。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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