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佐野房綱 さの ふさつな

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

佐野房綱 さの-ふさつな

?-1601 織豊時代の武将。
下野(しもつけ)(栃木県)唐沢山城佐野宗綱(むねつな)の叔父。天正(てんしょう)13年宗綱が戦死すると,北条氏忠(のち佐野氏忠)が養子となって佐野家をつぎ,房綱は排除される。18年小田原攻めで功をたて,豊臣秀吉に佐野家当主としてみとめられ,唐沢山城主となった。慶長6年7月2日死去。

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朝日日本歴史人物事典の解説

佐野房綱

没年:慶長6.7.2(1601.7.31)
生年:生年不詳
戦国・安土桃山時代の武将。豊綱の子。剃髪して天徳寺宝衍と号した。兄昌綱と甥宗綱の2代にわたり下野(栃木県)佐野家当主を補佐した。天正13(1585)年宗綱が戦死し,北条氏忠が養子として佐野氏の家督を継ぐに至り佐野家を出る。その後上洛して豊臣秀吉に仕え,北関東の佐竹,宇都宮,下総結城氏や会津蘆名氏に秀吉の意向を取り次ぐ役割を果たした。天正18年の小田原攻めで北条氏を滅ぼして関東を支配下に収めた秀吉から,佐野家当主の地位を認められ佐野唐沢山城(佐野市)に戻る。文禄1(1592)年,秀吉の命で富田知信の子信吉を養子に迎え,隠居した。<参考文献>粟野俊之「天徳寺宝衍考」(『駒沢史学』39,40号)

(荒川善夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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