佐陀村(読み)さだむら

日本歴史地名大系 「佐陀村」の解説

佐陀村
さだむら

[現在地名]淀江町佐陀

中間なかま村の北西美保みほ湾に面し、佐陀川下流左岸に位置する。古くは佐田と記された(正保国絵図)。村名は産土神佐陀大明神によると伝える(伯耆志)。天正一〇年(一五八二)と推定される八月五日の毛利輝元書状(毛利氏四代実録考証論断)に「佐田」とみえ、毛利方の命を受けた庄原氏らが佐陀城を攻撃している。毛利氏の部将で尾高おだか(現米子市)城主であった杉原盛重の次男景盛が、兄元盛を謀殺して当地に佐陀城を築き居城していたが、敗れて七千貫の地は没収され、杉原氏は滅亡したとされる(「陰徳太平記」「伯耆民談記」など)。なお、これは同一二年のことともされ、「三刀谷記」にも同年八月のこととして「久祐父子、諸将と共に、当郡佐陀城ニ籠れる杉原景盛を誅伐す」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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