作並村(読み)さくなみむら

日本歴史地名大系 「作並村」の解説

作並村
さくなみむら

[現在地名]宮城町作並

熊(くま)ヶ根(ね)村の北西方に位置。広瀬川が流れ同川沿いに作並街道が通る。同街道を北西に進むと出羽国境の関山(せきやま)峠に至る。峠を越えると出羽村山(むらやま)郡関山村(現山形県東根市)。主集落は街道沿いに形成され宿村形態を示す。「大倉村安永風土記」の大原(おおはら)館の項に「天正之初より国分御家臣作並宮内様御居館之由申伝」とあり、この頃すでに作並の地名が姓名にも用いられていた。また作並の旧家岩松旅館には「作波」の文字が鋳込まれている鉉つきの釜がある(宮城町誌)。

寛永元年(一六二四)馬場蔵人が当村の田畑一三貫文を給され(宮城郡誌)、同一九年の検地で田八貫四七九文・畑一六貫六〇九文と定まる。人頭二八人、肝入久右衛門(広瀬村誌)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む