宮城郡(読み)みやぎぐん

日本歴史地名大系 「宮城郡」の解説

宮城郡
みやぎぐん

面積:三七一・二九平方キロ
宮城みやぎ町・しちはま町・利府りふ町・松島まつしま

県のほぼ中央に位置、東の太平洋岸から西方山形県境に至り東西に長い。郡の西部はほぼ山地、東部は丘陵地から緩傾斜して仙台平野へと移行している。かつての郡は、北は東から桃生ものう郡・志田郡・黒川郡、南は名取郡に囲まれていたが、仙台市・塩竈市・多賀城市・泉市の成立により中央を分断され、西部に宮城町、東部に利府町・松島町七ヶ浜町がある。現郡域のうち約七〇パーセントは宮城町が占める。桃生郡鳴瀬なるせ町に属する宮戸みやと島から鳴瀬町・松島町・利府町・塩竈市・七ヶ浜町に囲まれた松島湾・塩竈湾一帯は国の特別名勝松島で、松島県立自然公園。

郡名は「続日本紀」天平神護二年(七六六)一一月七日条に初見。訓は「和名抄」東急本郡部に「美也木」、「拾芥抄」に「ミヤキ」とあり、異訓はない。当郡は多賀城が置かれて、大和政権の東国経営の拠点であった。

〔原始〕

郡内の遺跡の多くは、松島丘陵上、松島湾岸諸島、高城たかぎ川・鳴瀬川・砂押すなおし川の流域およびその周辺台地、七北田ななきた川・広瀬川(芋沢川・大倉川)によって形成された段丘に分布する。

縄文時代の遺跡は西部丘陵に多く、宮城町広瀬川流域に過半数以上が集中。また松島湾沿岸の松島町・七ヶ浜町には貝塚遺跡が集中し、それぞれ遺跡立地の特徴を示す。松島湾三大貝塚(大木囲貝塚・西の浜貝塚・鳴瀬町宮戸島貝塚)の一つ七ヶ浜町大木囲だいぎがこい貝塚出土の土器は、東北地方南部における縄文土器の標式資料として、前期から中期の大木式一〇型式が設定されている。松島町磯崎いそざき西の浜にしのはま貝塚は、東北地方で最初に製塩遺跡が発見されたことでも知られ、縄文後期中葉の出土土器群に宝ヶ峯式と金剛寺式を結ぶ型式として、西の浜式という名称が与えられた。またイノシシの下顎骨をならべた状態で発見された遺構は、豊猟を祈る祭祀関係のものとして注目された。このほか縄文早期貝殻文施文土器の発見された湾内最古の七ヶ浜町吉田浜よしだはま貝塚、前期初頭の合葬人骨を出土した松島町の貝殻塚かいがらづか貝塚、魚骨タイ類の遺存骨を多数発見した七ヶ浜町左道さみち貝塚、松島湾最奥部の縄文中期末の利府町加瀬かせ貝塚などがある。また七ヶ浜町二月田にがで貝塚では縄文後期中葉(金剛寺式)から晩期末(大洞A式)までの遺物が多量に採集され、とくに鹿角製漁労具の燕尾形離頭銛、の出土が多く、刺突漁法として銛漁・漁がなされていたことが明らかになった。自然遺物の分析の結果、軟体動物・節足動物・脊椎動物の計一四一種が確認されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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