日本歴史地名大系 「保月村」の解説 保月村ほうづきむら 滋賀県:犬上郡多賀町保月村[現在地名]多賀町保月杉(すぎ)村の東方、鍋尻(なべしり)山(八三八・三メートル)のすぐ南にある。寛永石高帳に高八九石余とある。元禄八年大洞弁天寄進帳によれば男一九六・女二二五、寺社方男一。享保一三年(一七二八)の口上書(保月共有文書)によれば家数九一、うち八軒は四十九院(しじゆうくいん)村唯念(ゆいねん)寺(現豊郷町)、二軒は平田(ひらた)村明照(みようしよう)寺(現彦根市)、残り八一軒は金剛寺(こんごうじ)村誓念(せいねん)寺(現同上)の門徒であるとし、八一軒は一七年前に西本願寺に帰依したとある。文化元年(一八〇四)の濃州時山(ときやま)村(現岐阜県養老郡上石津町)庄屋からの一札(同文書)によれば、本年より五年間は時山村が茶の荷を扱い、代りに茶一本あたり時山村より五厘、一円(いちえん)村問屋より五厘を保月村村方へ納めることで合意している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by