犬上郡(読み)いぬかみぐん

日本歴史地名大系 「犬上郡」の解説

犬上郡
いぬかみぐん

面積:一五七・三七平方キロ
豊郷とよさと町・甲良こうら町・多賀たが

県の東部中央に位置し、現郡域は東は岐阜県養老ようろう上石津かみいしづ町、三重県員弁いなべ藤原ふじわら町、神崎郡永源寺町、南は愛知えち愛東あいとう町・秦荘はたしよう町・愛知川えちがわ町、西は彦根市、北は坂田郡米原町に接する。彦根市成立以前は東の霊仙りようぜん山から御池おいけ岳に至る鈴鹿山脈から流れ出す犬上川・せり川両川の流域を郡域としていた。東部は石灰岩質カルスト地形で、西に下るにつれて沖積平野が広がり、琵琶湖畔にはいくつかの内湖も存在した。現郡域西端を東海道新幹線・近江鉄道本線が通る。それより西を国道八号が南北に通る。郡中央部を南北に国道三〇七号が通り、多賀町から国道三〇六号が東へ向かい、鞍掛くらかけトンネルを越えて三重県に入る。郡の中央を名神高速道路が通り抜けている。郡名の初見は天平二〇年(七四八)四月二五日の写書所解(正倉院文書)で、羽栗臣国足の本貫として「犬上郡尼子郷」とみえる。

〔原始〕

湖東平野の北端を占めるが、鈴鹿山脈が琵琶湖に向かって迫り、平野部を狭くしていることもあって、確認されている原始時代の遺跡は少ない。最古の遺跡は甲良町金屋かなや遺跡で、縄文時代の貝塚とされるが、調査事例がなく詳細は不明。多賀町佐目さめ遺跡では石灰洞窟より縄文土器を採集したというが、明確でない。弥生時代の遺跡は郡内では未確認である。古墳時代には中期および後期の古墳群が多くみられる。とくに後期の古墳群は多数が知られ、犬上川の形成する沖積扇状地上や鈴鹿山脈山麓部に広く分布する。これらの古墳は、横穴式石室を主体部とするものと木棺直葬を主体部とするものと大きく二つの形態に分けられ、前者は扇状地東部、後者は扇状地西部におもに分布する。古墳時代の集落としては、甲良町下之郷しものごう遺跡で五世紀中頃までさかのぼると考えられる竪穴住居跡が確認され、同町法養寺ほうようじ遺跡では七世紀初頭の竪穴住居跡が知られる。当郡の中心地となる犬上川左岸扇状地の開発は、古墳時代中期に始まったと考えられる。その後同扇状地上には甲良町長畑ながばたけ遺跡・尼子南あまごみなみ遺跡、豊郷町四十九院しじゆうくいん遺跡・雨降野あめふりの遺跡など七、八世紀を中心とする集落が多数認められるようになる。これらの集落は八世紀前半代の竪穴住居と掘立柱建物の共存から、八世紀後半の掘立柱建物のみからなる集落へ変化し、八世紀後葉には南北地割に規制された集落を形成する。そして、一二世紀後葉に扇状地の方格地割(北から東へ二七―二八度方向)に規制された集落の出現をみる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報