保福寺宿(読み)ほうふくじしゆく

日本歴史地名大系 「保福寺宿」の解説

保福寺宿
ほうふくじしゆく

[現在地名]四賀村錦部 保福寺

稲倉ひなぐら峠を越えて七嵐ななあらし村から東の保福寺峠に向かう保福寺道(江戸道)の保福寺町村にあった宿。古代の官道の錦織にしごり駅に近く、小県ちいさがた郡の浦野うらの駅に至っている。古代の東山道の道筋をうけており、険阻な保福寺越えをする手前の宿であるから重要な宿であった。

松本藩小笠原秀政が慶長一九年(一六一四)に出した保福寺宿定書(小沢家文書)に、

<資料は省略されています>

とあるから、慶長一九年以前から宿場の置かれていたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む