保福寺町番所
ほうふくじまちばんしよ
[現在地名]四賀村錦部 保福寺
苅屋原宿から保福寺峠を越えて小県郡へ出る保福寺道(江戸道)の保福寺町村に置かれた番所で、宿の東はずれにあった。松本領としては南の東山口、塩尻口同様の重要な番所であった。また明治九年(一八七六)の「東筑摩郡村誌」には「古番所趾 保福寺駅ニアリ。東西五間 南北四間三尺、家屋尚存ス。永正十年癸酉、小笠原長棟創立シ、婦女境ヲ出ルヲ禁ジ、米穀邦ニ糴スルヲ止ム。爾後戸田氏ニ至リ、世々次デ相襲ヒ、明治元年戊辰ニ至リテ廃ス」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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