倉掛村
くらかけむら
[現在地名]桜村倉掛・千現一―二丁目・竹園三丁目
台地上に位置し、村の東北に花室川が流れる。東は上室村。蔵掛村とも記す(新編常陸国誌)。江戸時代は旗本領で、元禄郷帳の村高は三一三石余。幕末は新庄氏領(各村旧高簿)。
倉掛村
くらかけむら
[現在地名]矢板市倉掛
高塩村の北に位置する。北部を日光北街道が抜け、戸方坂・外出坂・日光坂の三坂と三切通しがあって難路であった。近世は初め宇都宮藩領、寛延二年(一七四九)下総佐倉藩領、安永三年(一七七四)再び宇都宮藩領となり幕末に至る。慶安郷帳では高一一二石余(輪王寺本では一三二石余)、田方七二石余・畑方五九石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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