元嘉の治(読み)げんかのち(その他表記)Yuan-jia zhi zhi; Yüan-chia chih chih

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「元嘉の治」の意味・わかりやすい解説

元嘉の治
げんかのち
Yuan-jia zhi zhi; Yüan-chia chih chih

中国,南朝宋の文帝治世 (424~453) をさす。元嘉はその年号学問を好んだ文帝はその父武帝の残した豊かな国力を保ち続けたため,国内には平和が続き,繁栄をみた。政権をになっていたのは貴族層であるが,南朝の貴族制にとっても当時は安定期であった。しかしその末年,元嘉 27 (450) 年北魏進攻によって太平の夢は破られ,以後宋の国力は急速に衰退,同 30年,帝はその皇太子によって殺された。

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世界大百科事典(旧版)内の元嘉の治の言及

【宋】より

…京口に置かれた北府軍団の一部将から身をおこした劉裕は,やがてその軍団長として孫恩・盧循の乱を鎮圧,410年(義熙6)には南燕,417年には後秦を征服,このような武功によって東から王朝を譲られた。第3代文帝治世下の天子と貴族たちとの合議政治の体制は〈元嘉の治〉とたたえられたが,主要な軍鎮の長官には宗室諸王が配せられ,また中央集権を志向した孝武帝以後,手足となって働く実務官僚を寒門や寒人にもとめたため,貴族たちはしだいに棚上げされはじめた。一方,439年(太延5)には北魏の太武帝が北涼を滅して華北の統一に成功,南北朝対立の緊迫した形勢がかたまり,明帝期には淮水(わいすい)以北から山東半島にいたる領土を北魏に奪われた。…

【文帝】より

…武帝の第3子。30年に及んだその治世は,貴族の特権を擁護して貴族政治を推進し,南朝第一の安定と繁栄を実現したとされ,古来,元号にちなんで〈元嘉の治〉と称えられる。しかし半面,弟の彭城王義康との権力争いに苦しんだことから皇族対策を厳しくするなど,専制君主の性格を強めた。…

※「元嘉の治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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