東京都から山梨県、長野県、岐阜県を通って愛知県に至る東日本旅客鉄道と東海旅客鉄道の線路名称。神田―代々木間8.3キロメートル、新宿―塩尻(しおじり)間211.8キロメートル、岡谷(おかや)―辰野(たつの)―塩尻間27.7キロメートルは東日本旅客鉄道の管轄で、複線化率84.2%、塩尻―名古屋間174.8キロメートルは東海旅客鉄道の管轄で、複線化率85.9%、全線直流電化。本州中央部の山岳地帯を縦断する幹線鉄道で25‰(パーミル)の急勾配(こうばい)区間が至る所に連続している。東京西郊から甲府盆地、諏訪(すわ)盆地、松本盆地、木曽谷(きそだに)、東濃地方などを経て濃尾平野に至る。1889~1895年(明治22~28)甲武鉄道により飯田町(いいだまち)―八王子間、1904年(明治37)御茶ノ水―飯田町間が開業したのに始まり、1900~1911年に八王子―名古屋間が中央東線、中央西線として官設鉄道により逐次開業し、1906年甲武鉄道を国有化、1911年全通とともに中央本線となった。1908~1919年(明治41~大正8)御茶ノ水―東京間を開業して、東京を起点とするようになったが、長距離列車は旧甲武鉄道のターミナル駅飯田町に発着し、1933年(昭和8)これを新宿に移して、飯田町駅は貨物駅となった。飯田町―中野間は1904年(明治37)、甲武鉄道によって電化されたが、これは蒸気鉄道の路線に電車を併用運転した最初であり、同鉄道の国有化によって最初の国鉄電車運転区間となった。これが逐次延長されて、1930年(昭和5)までに東京―浅川(現、高尾)間の電車運転に発達した。電化は1931年、甲府以東の区間が完成したが、第二次世界大戦後急速に進んで、1974年(昭和49)までに全線の電化を完成した。1983年塩嶺(えんれい)トンネル(長さ5994メートル)の開通によって岡谷―塩尻間が短絡され、新宿―松本間の所要時間の短縮が実現している。現在の中央本線の列車運転は塩尻を境として東西に二分され、大部分の列車が篠ノ井(しののい)線に乗り入れて松本、長野方面に直通するので、中央東線、中央西線の名称は現在も運転上の通称として用いられている。
[青木栄一・青木 亮]
東海道本線東京駅から甲府,塩尻を経て木曾谷を南下,東海道本線名古屋駅に至る386.6kmおよび岡谷~辰野~塩尻間27.7km,総営業キロ414.3kmのJR線。うち東京方211.8kmと岡谷~辰野~塩尻間はJR東日本に,名古屋方174.8kmはJR東海に属する。甲武鉄道会社から買収した御茶ノ水~八王子間と国が建設した東京~御茶ノ水間,八王子~名古屋間からなる。まず甲武鉄道の新宿~立川間が1889年3月に開業,同年8月に八王子まで延長された。その後東京の市街地線として1904年12月に御茶ノ水まで延長され,06年10月国に買収された。一方,八王子以遠については,八王子側からは中央東線として1903年6月甲府まで,06年6月塩尻までが開業した。また名古屋側からは中央西線として1900年7月多治見まで,10年11月木曾福島までが開業,11年4月木曾福島~宮ノ越間開通により,すでに小刻みに開通していた塩尻~宮ノ越間とあわせて東線,西線が全通,中央本線と改称された。さらに19年3月東京~御茶ノ水間が開通した。83年7月岡谷~塩尻間に塩嶺トンネルが開通し,岡谷~塩尻間は新・旧両ルートとも中央本線と称されることとなった。同線の前身甲武鉄道は,1904年8月中野~飯田町(現在は貨物駅)間で日本初の電車運転を行ったが,国有化後はこれが国鉄電車運転の最初となった。
執筆者:村山 繁樹
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