日本歴史地名大系 「光久保」の解説
光久保
みつひさほ
成立事情は不明。観応二年(一三五一)一一月六日付の足利義詮御教書(醍醐寺文書)に、
<資料は省略されています>
とみえる。宛名の仁木兵部大輔頼章は丹波守護。醍醐寺文書によると次いで翌文和元年(一三五二)一一月三日付で、足利尊氏が光久ほかの遵行を仁木頼章に命じている。その後同内容の御教書が数度出されており、光久保を含む
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
成立事情は不明。観応二年(一三五一)一一月六日付の足利義詮御教書(醍醐寺文書)に、
とみえる。宛名の仁木兵部大輔頼章は丹波守護。醍醐寺文書によると次いで翌文和元年(一三五二)一一月三日付で、足利尊氏が光久ほかの遵行を仁木頼章に命じている。その後同内容の御教書が数度出されており、光久保を含む
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新