光久保(読み)みつひさほ

日本歴史地名大系 「光久保」の解説

光久保
みつひさほ

成立事情は不明。観応二年(一三五一)一一月六日付の足利義詮御教書(醍醐寺文書)に、

<資料は省略されています>

とみえる。宛名の仁木兵部大輔頼章は丹波守護。醍醐寺文書によると次いで翌文和元年(一三五二)一一月三日付で、足利尊氏が光久ほかの遵行仁木頼章に命じている。その後同内容の御教書が数度出されており、光久保を含むしの村八幡宮(現亀岡市)領についてなんらかの紛争があったようだが、詳細は不明である。応永三年(一三九六)一〇月二五日には光久保などについて、守護役人夫の催促停止を足利義満が命じており、また応永六年四月一一日にも、当時別当職を有していた篠村八幡宮の造営料所として三宝院に安堵している(同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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