光富保
みつとみほ
「阿波志」が東中富村の旧称を光富としていることから、現藍住町東中富周辺と考えられている。正平一七年(一三六二)二月一五日の出雲守時有奉宛行状(菅生家文書)に「阿波国光富保国衙職」とあり、四国の南朝勢力を統率したとされる粟野三位中将の命により、当保が恩賞として菅生四郎左衛門尉に安堵されている。菅生氏は現三好郡東祖谷山村菅生を本拠とした武士で、正平一六年四月一日に郡原国衙分(現土成町)が八幡宮へ寄進された際の出雲守時有奉寄進状(同文書)も菅生四郎左衛門尉に宛てられている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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