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光忠 ミツタダ

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デジタル大辞泉の解説

みつただ【光忠】

鎌倉中期、備前国長船(おさふね)の刀工。長船派の祖。作風は豪壮・華麗で、刃文は丁子(ちょうじ)。その作に織田信長が愛用した「燭台切光忠」などがある。生没年未詳。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

光忠 みつただ

?-? 鎌倉時代の刀工。
備前(岡山県)長船(おさふね)派の事実上の祖。豪壮華麗な作風で知られる。在銘の太刀1口(ふり)と,本阿弥光徳(ほんあみ-こうとく)が金象眼銘をいれた刀2口が国宝指定。

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朝日日本歴史人物事典の解説

光忠

生年:生没年不詳
鎌倉中期の刀工。備前(岡山県)邑久郡長船に住した。近忠の子で,鎌倉・室町時代を通じ,最も多く刀剣を制作した長船派の事実上の祖。作品はすべて太刀で,そのほとんどが身幅の広い豪壮な造込みである。同時代の一文字派と共通する華やかな丁字乱れの刃文を焼くが,蛙子丁字や互の目などが交じるのが特徴である。織田信長は光忠を好んだといわれ,また慶長(1596~1615)のころ讃岐(香川県)の領主であった生駒讃岐守親正や,小早川隆景が佩用した光忠作の刀が残っている。

(原田一敏)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

みつただ【光忠】

鎌倉中期、備前長船おさふねの刀工。近忠の子。日本刀工中最大の流派となった長船鍛冶の始祖。太刀姿は豪壮で、刃文は鋭い丁子刃を焼く。作に織田信長が特に好んだ「燭台切光忠」などがある。生没年未詳。

出典|三省堂
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世界大百科事典内の光忠の言及

【長船物】より

…鎌倉中期から室町末期まで,長船は日本一の流派として多くの名工を生んだ。文献では近忠を祖としているが,作品が現存せず,その子光忠を事実上の祖としている。光忠には年紀作はないが,その子長光には文永11年(1274)紀の作があり,活躍年代がほぼ知られる。…

【備前物】より

…吉岡,岩戸には福岡一文字と同じく〈一〉をきる者がいるため吉岡一文字,岩戸一文字と呼ばれており,吉岡一文字では助光が,岩戸一文字では吉家,吉氏が代表工である。長船の地には鎌倉中期に光忠を祖とする長船派が起こり,この一派は室町時代まで,日本最大の流派として大きく栄えた(長船物)。この光忠の子に長光,その子に景光がおり,いずれも名工として名高く,その一門には真光,秀景,真長,長元,近景,景政らがいる。…

※「光忠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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