デジタル大辞泉
「光忠」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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みつただ【光忠】
- 鎌倉時代、備前国長船(おさふね)(岡山県瀬戸内市)の刀工。宝治~建治(一二四七‐七八)頃の人という。長船派の祖。丁子刃に蛙子丁子を交えた華やかな作風。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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光忠
生年:生没年不詳
鎌倉中期の刀工。備前(岡山県)邑久郡長船に住した。近忠の子で,鎌倉・室町時代を通じ,最も多く刀剣を制作した長船派の事実上の祖。作品はすべて太刀で,そのほとんどが身幅の広い豪壮な造込みである。同時代の一文字派と共通する華やかな丁字乱れの刃文を焼くが,蛙子丁字や互の目などが交じるのが特徴である。織田信長は光忠を好んだといわれ,また慶長(1596~1615)のころ讃岐(香川県)の領主であった生駒讃岐守親正や,小早川隆景が佩用した光忠作の刀が残っている。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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光忠 みつただ
?-? 鎌倉時代の刀工。
備前(岡山県)長船(おさふね)派の事実上の祖。豪壮華麗な作風で知られる。在銘の太刀1口(ふり)と,本阿弥光徳(ほんあみ-こうとく)が金象眼銘をいれた刀2口が国宝指定。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の光忠の言及
【長船物】より
…鎌倉中期から室町末期まで,長船は日本一の流派として多くの名工を生んだ。文献では近忠を祖としているが,作品が現存せず,その子光忠を事実上の祖としている。光忠には年紀作はないが,その子長光には文永11年(1274)紀の作があり,活躍年代がほぼ知られる。…
【備前物】より
…吉岡,岩戸には福岡一文字と同じく〈一〉をきる者がいるため吉岡一文字,岩戸一文字と呼ばれており,吉岡一文字では助光が,岩戸一文字では吉家,吉氏が代表工である。長船の地には鎌倉中期に光忠を祖とする長船派が起こり,この一派は室町時代まで,日本最大の流派として大きく栄えた([長船物])。この光忠の子に[長光],その子に景光がおり,いずれも名工として名高く,その一門には真光,秀景,真長,長元,近景,景政らがいる。…
※「光忠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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