デジタル大辞泉 「建治」の意味・読み・例文・類語 けんじ〔ケンヂ〕【建治】 鎌倉中期、後宇多ごうだ天皇の時の年号。1275年4月25日~1278年2月29日。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「建治」の意味・読み・例文・類語 けんじケンヂ【建治】 鎌倉時代、後宇多天皇の代の年号。文永一二年(一二七五)四月二五日代始により改元。出典は「周礼」の「以治建国之学政」。建治四年(一二七八)二月、弘安と改元。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本の元号がわかる事典 「建治」の解説 けんじ【建治】 日本の元号(年号)。鎌倉時代の1275年から1278年まで、後宇多(ごうだ)天皇の代の元号。前元号は文永(ぶんえい)。次元号は弘安(こうあん)。1275年(文永12)4月25日改元。後宇多天皇の即位にともない行われた(代始改元)。『周礼(しゅらい)』を出典とする命名。建治年間の鎌倉幕府の将軍は惟康(これやす)親王(7代)、執権は北条時宗(ときむね)(8代)。1274年(文永11)、モンゴル帝国(元)と高麗(こうらい)の軍勢が九州に来襲したことから(文永の役)、1276年(建治2)に鎌倉幕府は西国の諸将に対し、再度の来寇(らいこう)に備えて北九州などの沿岸に石塁(せきるい)を築くことを命じた。 出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報