光清村(読み)みつきよむら

日本歴史地名大系 「光清村」の解説

光清村
みつきよむら

[現在地名]三良坂町光清

中央を南流する本村ほんむら川沿いに河岸段丘が発達し、前之段まえのだん上之段うえのだん魚売段よりかだんなどの地名がある。三谿みたに郡の東北端にあたり、北は三上みかみ郡に接していた。また備後南部の尾道・三原と三上郡庄原(現庄原市)やさらにその北の奥備後を結ぶ往還本村川沿いに村を南北に貫いていた。

文和三年(一三五四)京都祇園社領小童ひち(現甲奴郡甲奴町)を押妨した光清左衛門尉という地名を姓とした武士の名がみえるが(八坂神社文書)、それ以前の暦応元年(一三三八)には幕府は備後国守護仁木義長に、広沢孫三郎子息法師丸のじび下原しもはら(現庄原市)の地頭職押領の停止を命じている(山内首藤家文書)ことなどから、下原村に隣接する光清村はすでに一四世紀には広沢氏の支配下に入っていたことが知られ、先の光清氏も広沢和智氏の支配に属していた武士とみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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