改訂新版 世界大百科事典 「児童の村」の意味・わかりやすい解説
児童の村 (じどうのむら)
野口援太郎らが中心となって1923年に結成した団体〈教育の世紀社〉が実験学校として開設した私立小学校。最初のものは24年に東京池袋に創設された池袋児童の村小学校で,野村芳兵衛やのちには戸塚廉などが教師として参加した。そこでの教育は,〈先生を選ぶ自由〉〈時間を選ぶ自由〉〈教材を選ぶ自由〉〈場所を選ぶ自由〉を尊重し,大正期の教育改造運動の高揚に大きな役割を果たした。25年には桜井祐男によって兵庫県芦屋に芦屋児童の村小学校が開設され,さらに神奈川県茅ヶ崎に上田庄三郎らによって創設された私立小学校も児童の村を名のったことがある。しかし30年代に入ると教育界全体が国家主義に傾斜していき,児童の村の支持基盤もゆらぎ,財政や人事面でゆきづまり,30年代半ばにはそれぞれ閉鎖を余儀なくされ,36年に発足した東京児童の村小学校だけが第2次世界大戦下まで存続した。しかし,池袋児童の村小学校を母胎にして発行された雑誌《生活学校》はその後も2年ほど存続して民主的教育運動を支えた。
執筆者:中野 光
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報