日本歴史地名大系 「入山崎村」の解説 入山崎村いりやまざきむら 千葉県:八日市場市入山崎村[現在地名]八日市場市入山崎・山崎(やまざき)南山崎(みなみやまざき)村の北に位置し、台地の縁辺部に集落が形成される。北は東流する借当(かりあて)川を境に大堀(おおほり)村。寛文年間(一六六一―七三)と推定される国絵図に入山崎とみえる。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高二三三石余で旗本松平(のち多古藩)領。弘化二年(一八四五)の関東取締出役控帳では高四一三石余、家数三四で多古藩領。旧高旧領取調帳では旗本間宮領一八七石余・同杉浦領一六二石余の相給。寛延二年(一七四九)水害と悪水に苦しめられていた当村と大堀村とが新川を掘削し、川底をさらう計画を提唱したが、南借当村・南並木(みなみなみき)村(現多古町)の反対で実現しなかった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by