日本歴史地名大系 「八坂上庄」の解説 八坂上庄やさかかみしよう 大分県:杵築市八坂上庄八坂庄のうちで、生桑(いくわ)寺の大般若経の裏打ちに使用された断簡文書によれば、八坂本庄を八坂上庄と言換えている。豊後国弘安田代注進状では「本庄五拾五町内 御家人八坂五郎左衛門尉惟継跡弥五郎盛氏、七郎惟行、十郎能継、各分領不分明」とある。八坂庄は八坂下庄のみが領家一円領で、残りは地頭に分割されたかのごとき記載である。本庄・新庄ともに御家人八坂氏の所領で、弘安の段階では、弥五郎盛氏と七郎惟行と十郎能継が分割し支配していた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by