縄文遺跡として早期の
「和名抄」の速見郡には八坂・
弘安図田帳によれば、八坂庄は宇佐宮領で、秋吉氏が地頭職を得て八坂氏を名乗っている(秋吉文書)。同図田帳では「八坂荘二百町」は宇佐弥勒寺領、「下荘百町」は領家八幡検校法印女子、「本荘五十五町」は八坂惟継跡配分とあり、「新荘四十五町」も惟継嫡孫相続である。そして「若富名五町二反」は本庄地域に入るが、とくに大友兵庫入道の領地となる。木付氏は大友氏二代親秀の六男親重が建長二年(一二五〇)
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報