八声村(読み)やこえむら

日本歴史地名大系 「八声村」の解説

八声村
やこえむら

[現在地名]大多喜町八声

部田へた村の東、夷隅川右岸に位置する。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に八越村とみえ、高二二五石。慶長二年(一五九七)の伊北庄山中郷縄打帳(八声区有文書)一冊があり、田三町四反余・畑三町八反余。同年の山中郷水屋鋪帳(磯野家文書)には「八音」「やこえ」などとみえ、山中やまなか郷六ヵ村の一。初め大多喜藩領、寛永一〇年(一六三三)旗本平野・富永領になったとみられ(「寛政重修諸家譜」、延享三年「夷隅郡村高覚」沢家文書)幕末に至る(旧高旧領取調帳)。延宝四年(一六七六)検地帳(八声区有文書)では反別四町八反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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