八対野村(読み)はつたいのむら

日本歴史地名大系 「八対野村」の解説

八対野村
はつたいのむら

[現在地名]白山町八対野

垣内かいと川流域の南北に開けた緩やかな扇状地状の谷平野にある。東は垣内川を隔てて稲垣いなかけ村、西は布引ぬのびき山地東端の丘陵。北は垣内村、南は山田野やまだの村。村名は応安五年(一三七二)一二月二日の権少僧都泰禅荒野宛行状(那智山実方院文書)に、熊野那智山御領として「八対野荘」とみえる。明応三年(一四九四)の小倭百姓衆起請文(成願寺文書)には、八対野衆として二八人が連名する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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