天性寺(読み)てんしようじ

日本歴史地名大系 「天性寺」の解説

天性寺
てんしようじ

[現在地名]烏山町南一丁目

南台山曹源院と号し曹洞宗本尊聖観音。寺伝によれば正治元年(一一九九)那須光資が、近世の烏山城下屋敷やしき町地内福泉坊ふくせんぼうの地に創建し、院号は那須与一宗隆の法号にちなんだという。初代烏山城主那須資重は天照寺と寺号を改め、明応九年(一五〇〇)那須資房は境内に観音堂を建立芳賀はが町田まちだ(現茂木町)長安ちようあん寺二世長玄を招き中興開山としたと伝える。中世、那須氏の菩提寺として同氏の崇敬は厚かったと思われ、天文一五年(一五四六)那須高資は父政資の菩提のために「森田之内浄光寺」を寄進している(八月二三日「那須高資寄進状写」寺蔵、以下断りのない限り寺蔵文書)


天性寺
てんしようじ

[現在地名]中京区天性寺前町

寺町てらまち通に西面して門を開き、本堂は南向。浄土宗。曼荼羅山と号し、本尊阿弥陀如来。大永年中(一五二一―二八)和州当麻たいま(現奈良県當麻町)念仏堂の眼誉が当麻曼荼羅を模し、都に弘通せんとして当寺を興したのに始まる(山州名跡志)。「坊目誌」はその地を西陣にしじんの当麻町(現京都市上京区曼荼羅町)と記す。天正一五年(一五八七)豊臣秀吉によって当地に移転、天明八年(一七八八)大火で類焼したが、文化年間(一八〇四―一八)再建された(坊目誌)。当寺にあった十一面観音は織姫観音と称し中将姫の化身像と伝える。


天性寺
てんしようじ

[現在地名]岸和田市南町

岸和田城の西方にある。浄土宗、山号護樹山、本尊阿弥陀如来・延命地蔵菩薩。通称蛸地蔵たこじぞうで知られる。開基は得誉泰山(天保一四年「南郡寺社覚」鬼洞文庫蔵)で天正年間(一五七三―九二)の開創という。開創に関して蛸と地蔵菩薩との関係伝説がある。寺蔵の謡曲本「蛸地蔵」と蛸地蔵菩薩縁起によるとその内容は次のようである。建武年間(一三三四―三八)和田和泉守が岸和田在城の折、大津波が起こったが人家に被害がなかった。不思議に思って海岸をみると蛸の背に乗った地蔵菩薩を発見した。これを岸和田の守本尊であるとして城内に祀ったが、戦乱の世のため城濠に隠した。天正年間松浦肥前守が城主の時、紀州根来勢が岸和田へ来攻したが白法師が現れ、また無数の蛸が毒気を吹き敵軍を退却させたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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