日本歴史地名大系 「白山比神社」の解説
白山比神社
しらやまひめじんじや
手取川右岸の独立丘陵
〔神階叙位と加賀馬場禅定道〕
「延喜式」神名帳の石川郡一〇座のうちに「白山比神社」とみえ、武田家本は「シラヤマヒメ」と訓ずる。「文徳実録」仁寿三年(八五三)一〇月二二日条に「白山比神」とみえ、従三位に叙せられ、「三代実録」天安三年(八五九)正月二七日条では、白山比女神が正三位に進んでいる。以後の神階叙位の経緯は明確でないが、寛平九年(八九七)に従二位(「日本紀略」同年一二月三日条)、天慶三年(九四〇)に正二位(「園太暦」貞和三年一二月二四日条)に進んだと推測される。
白山禅定道の根拠地となったのが白山三馬場(馬場とは里宮の所在地で、登拝者の下馬地とされる)で、「白山之記」によると加賀馬場・越前馬場・美濃馬場からなり、白山本宮を出発点とする加賀馬場は三馬場からの参詣が重なった場合、本馬場として加賀馬場先達が御戸を開けるとされている。加賀馬場に位置した加賀下山七社(白山七社)は、白山本宮・
白山比神社
はくさんひめじんじや
白山比神社
はくさんひめじんじや
白山町と一志町との町界をなす通称白山の山頂に鎮座。もと
貞享三年(一六八六)の白山妙理大権現本記(成願寺蔵)には天文二二年(一五五三)
白山比神社
しらやまひめじんじや
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報