日本歴史地名大系 「八幡中山村」の解説 八幡中山村やわたなかやまむら 滋賀県:長浜市八幡中山村[現在地名]長浜市八幡中山町・分木町(ぶんぎちよう)・中山町(なかやまちよう)・三ッ矢元町(みっやもとちよう)・三ッ矢町(みっやちよう)・神前町(しんぜんちよう)・一(いち)の宮町(みやちよう)列見(れつけ)村の東に位置し、北は新庄西(しんじようにし)村・新庄東村、南は八幡東(やわたひがし)村。単に中山村とも称された。中世は八幡庄のうちで、近世も八幡庄七郷の一として長浜曳山祭の際、御輿を奉仕した。寛永石高帳に中山村とみえ高一千五八四石余、彦根藩領。寛文四年(一六六四)の彦根領分高帳(間塚文書)によると定免五ツ三分。元禄四年(一六九一)三月二八日から四月晦日まで三田長兵衛・小野田庄三郎により検地が行われたが、その際古検水帳が彦根藩へ召上げられたため、同年八月二〇日徳満(とくまん)寺住職は同帳を筆写した(八幡中山共有文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by