八木宿村(読み)やぎしゆくむら

日本歴史地名大系 「八木宿村」の解説

八木宿村
やぎしゆくむら

[現在地名]足利市福居町ふくいちよう

渡良瀬川南岸の低平地に位置し、北は北友之郷きたとものごう。東西に例幣使街道が横断し、八木宿を形成する。寛永一〇年(一六三三)には下総古河藩領、正保元年(一六四四)分家の土井利房領となる。その後、上野館林藩領を経て、天和二年(一六八二)旗本能勢領となり(分郷配当帳)幕末に至る。慶安郷帳では高二七石余。宿村大概帳によると、西の太田おおた宿(現群馬県太田市)へ二里一〇町、東の簗田やなだ宿へ三〇町、加宿は南友之郷みなみとものごうで加宿高二一〇石。加宿と合せ、宿往還の長さ一二町三間余、宿内町並東西六町ほど、天保一四年(一八四三)の宿内家数九六、人数は男二二二・女三二〇、本陣は字上宿かみしゆくに一、旅籠屋は中六・小一三、人馬継問屋は上宿に三ヵ所あり、宿建人馬は簗田宿とともに二五人・二五疋(五人・五疋は囲人馬)、正徳元年(一七一一)の人馬賃銭は、天明てんみよう宿(現佐野市)まで荷物一駄一二七文・軽尻八三文・人足六一文、太田宿まで荷物一駄七五文・軽尻五〇文・人足三七文。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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