日本歴史地名大系 「六ヶ村新田」の解説 六ヶ村新田ろつかそんしんでん 千葉県:海上郡飯岡町六ヶ村新田延宝期(一六七三―八一)に開発された新田。東は銚子領九ヵ村の入会野と八木(やぎ)村(現銚子市)、西は倉橋(くらはし)村(現海上町)・三川(さんがわ)村に接する。開発以前は三川・横根(よこね)・萩園(はぎそね)・平松(ひらまつ)・行内(ぎようち)・塙(はなわ)六ヵ村の入会野で、延宝二年八木村などとの争論が起き、山境が確定した(「裁許絵図」向後家蔵)。翌三年六ヵ村はこの入会野約二五〇町歩余を新田畑に見立て、次男・三男を移住させ、五ヵ年季で開発、米五〇俵ずつを納め、開発の難しい悪所は入会秣場とし、村付野以外は村高に応じて配分するなどを条件に開発願を出した(向後家文書)。同八年幕府代官の検地を受け高三二〇石余・皆畑一六〇町二反余で、平均石盛二斗とされた(飯岡町史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by