六箇庄(読み)ろつかのしよう

日本歴史地名大系 「六箇庄」の解説

六箇庄
ろつかのしよう

熊本市東部の白川以南、小山おやま長嶺ながみね付近の丘陵部から、その南東の上益城郡益城ましき町・嘉島かしま町の水田地帯に及ぶ長講堂領の荘園で、中世には託麻たくま(託麻東郷)に属した。安元二年(一一七六)から治承三年(一一七九)に書写された大般若経奥書(愛知県菟足神社蔵)に庄名がみえる。建久二年(一一九一)一〇月の長講堂領目録(島田文書)に「六箇庄 御寺役 元三御簾四間 畳廿一枚大文十一ヽ 小文十ヽ 月充兵士正十一十二各二人 元三料 砂廿両 侍所垂布三段無文細美紺布各六丈 三月御八講砂廿両 彼岸御布施二十段二季料 廻御菜二ケ日毎月一二日 門兵士十二人西洞院面二門 六条面 油小路面 六月各卅ケ日 不勤之移花四十枚」とあり当庄の課役が記されている。後白河院の長講堂(現京都市)造立とともに寄せられたものであろう。興国七年(一三四六)頃の文書にも、「六ケ庄本領長講堂御領」とみえる(欠年「恵良惟澄注進闕所中指合所領注文写」阿蘇家文書)。また応永一四年(一四〇七)三月の島田益直注進の宣陽門院御領目録(八代恒治氏所蔵文書)には長講堂領の一つとして「肥後国六箇庄 日野入道一位家 年貢米八百石」とある。年紀を欠くが鎌倉期と判断される託麻郡の庄郷注文(詫摩文書)によると、田数は三四〇町二反で、中世文書に同庄内としてみえる地名に、小山村(郷)戸嶋としま・長嶺・鹿帰瀬かきぜ平山(現熊本市)上島うえじまなまず(現嘉島町)福富ふくどみ(上下)安永やすなが平田ひらた木山きやま郷・木崎きざき砥川とがわ・布加良(福原)(現益城町)道明どうみよう(現菊池郡菊陽町)それに中村・石津村・志那(名)子村・青木郷・桑原郷がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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