六間町(読み)ろつけんちよう

日本歴史地名大系 「六間町」の解説

六間町
ろつけんちよう

[現在地名]堺市北旅籠きたはたごひがし一―二丁

山口やまのくち一丁目の東にあり、十間じゆつけん筋を挟む両側町。高須たかす町あるいは北高須きたたかす町ともいう。南組の乳守ちもり(南高須町)とともに官許の遊所であった。町名はこの遊廓が傾城長六人によって建てられ、六軒町と称したことによるという(色道大鏡)。また高須というのは南組の遊廓であった高須町に倣ったという説、行基開創の高渚たかす(高石市の→今在家村があったという説がある(泉州志・堺鑑・全堺詳志)。元禄二年(一六八九)堺大絵図には「六間町」、文久三年(一八六三)堺大絵図には「高須丁」とあり、また町裏を蛸裏たこうらと通称した(申唱之町名「堺市史」所収)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉こい。[類語]俎板まないたの鯉こい・薬缶やかんで茹ゆでた蛸たこのよう・手も足も出ない...

俎上の魚の用語解説を読む