日本歴史地名大系 「内藤分村」の解説 内藤分村ないとうぶんむら 群馬県:前橋市内藤分村[現在地名]前橋市石倉町(いしくらまち)・下石倉町(しもいしくらまち)北は大渡(おおわたり)村、西は大友(おおども)村・元総社(もとそうじや)村、南は小相木(こあいぎ)村、東の利根川対岸は前橋町と紅雲分(こううんぶん)村。古くは石倉とよばれ、元亀三年(一五七二)閏正月四日の上杉謙信書状(山川文書)では「石倉之地、今月三日落居」とあり、厩橋(前橋)に在陣した謙信は、石倉に陣を張った武田信玄と利根川を挟んで対峙している。「元総社村誌」によれば、これ以前の永禄九年(一五六六)当地の城は武田信玄の手に落ち、保渡田(ほどた)(現群馬郡群馬町)の内藤修理の兼帯所とされ、以来この地は内藤分とよばれるようになったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by