改訂新版 世界大百科事典 「内評外評」の意味・わかりやすい解説
内評・外評 (ないひょうがいひょう)
朝鮮の6~7世紀の高句麗における行政区画。《隋書》高麗伝に,12等の官名につづき〈また内評と外評には五部の褥薩(じよくさつ)(長官)がいる〉とある。内評は畿内,外評は地方をいい,それぞれ5部に分かれていた(五族・五部)。評はコプルko-pulとよみ,郡県の意味であるが,支配形態からみれば,山城を中心としてかなり地方自治を認められていた。高句麗の評は新羅に伝わって啄評(たくひよう)となり,百済でも己富里(コホリ)の地名語尾がみられる。日本では評造・評督の用語が,7世紀後半にかなりみられる。朝鮮三国や日本での用例には若干の相違があるが,等しく行政区域として使用された。
→評(こおり)
執筆者:井上 秀雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報