五族五部(読み)ごぞくごぶ(英語表記)Ojok obu

改訂新版 世界大百科事典 「五族五部」の意味・わかりやすい解説

五族・五部 (ごぞくごぶ)

朝鮮古代の高句麗王畿および地方の軍政・行政区画。五族は前1世紀ごろ鴨緑江の支流佟佳江流域にいた涓奴部,絶奴部,順奴部,灌奴部,桂婁部などの旧小国をいい,この五族を中心に連合して高句麗を形成し,それらの領域を王畿とした。五族の有力者たちが高句麗の貴族となり,王の廃立など国政を貴族会議で決定し,貴族はそれぞれ部内を統率し,私兵を擁していた。427年平壌に遷都すると,五族は内・東・西・南・北の五部,あるいは黄・前・後・左・右の五部と改称した。この改称を貴族勢力の衰退,王を中心とした中央集権の確立とみる説が有力であるが,貴族の構成員の変動と,貴族による中央集権の強化とみるのがよかろう。地方の五部の制度を否定する説もあるが,7世紀には南部,北部など地方軍政区画としての五部があり,部の長官褥薩(じよくさつ),その配下城主を処閭近支(しよろきんし)・道使といい,高句麗の滅亡時には五部176城あったという。王都の五部制度は百済王都の五部,高麗王都の五部坊里,李朝王都の五部などに,多少変化しながらも受けつがれたが,1894年の甲午改革でこの種の制度は廃止された。
高句麗
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「五族五部」の意味・わかりやすい解説

五族五部
ごぞくごぶ
Ojok obu

朝鮮,高句麗および百済などに存在した部族および行政区分の名称。『三国志魏志東夷伝などの中国史籍にみえる高句麗や百済関係の記事には,高句麗では涓 (消) 奴部,絶奴部,順奴部,灌奴部,桂婁部の五族があったと記され,百済の場合は五方,五部として史料に現れ,いずれも高句麗と関連があると思われるが,その内容については諸説あって不定である。

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