内道川村
うちみちかわむら
[現在地名]岩城町内道川
日本海に面し、北は勝手村、南は二古村に接する。
近世中期に道川村が二村に分れた時、海岸沿いの集落と君ヶ野川沿岸にある高畑を併せ一村とした。分村の時期は享保二年(一七一七)の御巡見様御案内相勤申ニ付留書牒(大内町文化財資料)から天明八年(一七八八)の戸田勘左衛門様御尋随ひ御答覚(大内町文化財資料)の間と推定される。
耕地は君ヶ野川に沿って開け、道川村から延びる後堂堰・藤田堰が灌漑用水で、烏沼・鶴潟沼も用水池として利用された(羽後国由利郡村誌)。
製塩・漁業も古くから行われたが、海岸線の後退などで製塩は衰え、明治初年には塩畑四畝一五歩にすぎない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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