内野々村(読み)うちののむら

日本歴史地名大系 「内野々村」の解説

内野々村
うちののむら

[現在地名]大野原町五郷内野々ごごううちのの

雲辺寺うんぺんじ山の北西麓に位置し、西は井関いせき村。寛永国絵図にはひめ郷内に「内野」とみえる。寛永一七年(一六四〇)の生駒領高覚帳では内野々村として高三八石余、同一八年の小物成は炭五石(一ヵ月四斗一升六合宛)であった(山崎領小物成帳)。享保一八年(一七三三)の反別は八町余、今高五一石余(朱印高二〇石余)、定米一六石余。夏成麦は大麦・小麦合計一石四斗余、大豆三斗余、溜池一ヵ所、出水四ヵ所、人数一二五(「万覚帳」佐伯文書)。宝暦一一年(一七六一)の反別は八町一反弱。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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