20世紀日本人名事典 「内野竹千代」の解説 内野 竹千代ウチノ タケチヨ 大正・昭和期の労働運動家 生年明治34(1901)年7月7日 没年(没年不詳) 出生地神奈川県足柄下郡下曾我村(現・小田原市) 学歴〔年〕高小卒,アテネフランセ 経歴高小卒業後家業に従事するが、大正9年日本社会主義同盟に参加し、12年上京してアテネフランセで学び、総同盟に入る。関東大震災後帰郷して農民運動に参加。労働農民党に入り、以後多くの労働運動を指導する。昭和3年共産党に入り、4年の4.16事件で検挙され懲役3年に処せられる。16年には日米開戦で拘束されたが、戦後共産党に入り、党の再建に尽くし、機関誌部長などを歴任した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内野竹千代」の解説 内野竹千代 うちの-たけちよ 1901- 大正-昭和時代の社会運動家。明治34年7月7日生まれ。大正9年日本社会主義同盟に加盟。神奈川県や東京で日本農民組合や日本労働組合評議会の運動に参加し,昭和2年労働農民党神奈川県連常任となる。3年共産党に入党,翌年四・一六事件で懲役3年。戦後,平和擁護日本委員会事務局長,共産党幹部会委員などをつとめた。神奈川県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by