日農と略称する。
(1)米騒動をきっかけに発展した小作争議を背景に、1922年(大正11)4月、賀川豊彦(とよひこ)、杉山元治郎(もとじろう)、山上武雄(たけお)らを中心に結成された。小作料軽減、小作人組合への結集などを方針とし、岡山県藤田村や新潟県木崎村などの争議を指導したのをはじめとして、全国的に小作争議の運動を展開した。最盛時には約8万の組合員を擁した。25年には無産政党組織準備機関の設置を提唱し、労働農民党設立の中心を担った。ところが、この党の運営をめぐって右派と左派との対立が激しくなり、この対立が日農にも波及し、26年3月の第5回大会において、平野力三(りきぞう)ら右派は脱退、同年4月全日本農民組合同盟を設立し、ここに日農は分裂した(第一次分裂)。さらに翌27年(昭和2)2月、左派による中間派の除名が行われ(第二次分裂)、中間派は全日本農民組合(全日農)を結成した。しかし、28年の三・一五事件で日農は思想的弾圧を受けたため、再統一の気運が高まり、同年5月に全日農と合同して全国農民組合(全農)を結成した。
(2)1931年1月、平野力三を中心とする全日本農民組合と社会民衆党系の日本農民組合総同盟との合同によって結成された。しかし、翌32年4月の社会民衆党の分裂により、旧日本農民組合総同盟系の一部が脱退した。平野派だけとなった日農は、日本国家社会党、同党の分裂後は皇道会の支持団体となり、41年まで存続した。
(3)1946年(昭和21)2月、「農地改革の根本改革」「新農業組織の確立と発達」「民主的農村生活と文化の建設」という綱領を掲げて結成された。最盛時には120万以上の組合員を擁するまでの組織的発展をみせた。しかしその内部は、戦前の共産党系と労農党系の対立が、共産党系と社会党系の対立として引き継がれ、年々激化し、49年4月の第3回大会で、日農統一派(黒田寿男(ひさお))と日農主体性派(野溝勝(のみぞすぐる))に分裂した。47年7月にすでに平野力三ら右派が脱退して全国農民組合(全農)を組織していたから、日農は三派に分裂したことになる。各派はさらに分裂を重ねて混迷を深めたが、56年の農地改革10周年記念大会をきっかけに戦線統一・合同の気運が高まった。まず57年9月、日農統一派と日農主体性派が合同して日本農民組合全国連合会(日農全連)を創立し、さらに翌58年3月には日農全連と全農、日農新農村建設派らが合同して全日本農民組合連合会を結成、ここに再統一がなった。しかし、60年1月に社会党から民主社会党が独立すると、旧全農系の人々は脱退して全国農民同盟を結成、わずか2年たらずでふたたび分裂した。
[似田貝香門]
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略称は日農。
1日本最初の全国的農民組織。1922年(大正11)4月9日に杉山元治郎を組合長として結成。頻発する小作争議を指導して組織の拡大をはたしたが,25年の普通選挙法成立を契機に無産政党結成問題がおこると,26年4月に右派が全日本農民組合同盟を結成して分裂し(第1次),27年(昭和2)3月には中間派が全日本農民組合を結成して再分裂した(第2次)。28年5月27日に全日本農民組合と再び合同して全国農民組合を結成。
2第2次大戦後の全国的単一農民組織。1946年(昭和21)2月に須永好を会長として結成。農地改革の進展に対応した農民運動を広範に展開したが,組織対立も激しく47年7月に右派が全国農民組合を結成して分裂。49年4月には共産党の組織活動をめぐって主体性派と統一派に分裂した。両派は57年9月に日本農民組合全国連合会を結成して統一を回復し,58年3月24日には全国農民組合などと合同して全日本農民組合連合会を結成。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…日本農民組合の略称。大正期以後,3次にわたって日本農民組合と称する全国的農民組織が結成され,いずれも日農と略称する。…
…その場合,農民運動とは,小作農が農民組合を結成し,小作料減免,耕作権確立など小作条件の改善と小作農の地位改善をめざした闘争ということができる。主として地主を相手として闘われ,その組織と運動は明治末期から散発的にみられたが,本格的には第1次大戦後の1922年,初めて全国的な農民組織である日本農民組合(日農)が創立されて以降展開した。
[戦前]
第1次大戦による日本資本主義の急激な膨張を背景に,地主・小作間の矛盾は各地で顕現し,小作争議件数は,1918年250件,20年408件と年々増勢した。…
…また,ロシア革命や米騒動,労働運動,普選制定要求運動等の高揚がデモクラシー思想を農村へ浸透させたことは,農民の思想的覚醒を促すうえで大きな役割をはたした。1922年に,初めての全国的農民組織である日本農民組合(日農,組合長杉山元治郎)が創立され,西日本を中心に急速に勢力を拡大した背景には,第1次大戦後のこのような農民の状況変化があった。小作農民は,日農の指導のもとで農民組合を結成し,小作料減額,耕作権確立などの要求を掲げて,地主側からしばしば譲歩をかちとった。…
※「日本農民組合」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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